おはようございます。名古屋の探偵@高田幸枝でございます。

 

本日はプライベート記事とでもしましょう。

 

私の家族構成は

 

大人しい父

大人しい母

大人しい姉

おてんば本人

大人しい妹

 

高田一族でも父家族は比較的、静かな家族構成

 

私が一人で家中を走り回っている

 

よくおじいちゃん、おばあちゃんにも

 

「ゆうちゃん、お姉ちゃんみたいに静かに絵を描きなさい」

 

と注意されておりました。苦笑

 

私は幼少時代から超マザコンでした。

 

姉が母と一緒に居ようものなら、すかさず横取り

13歳下の妹のときでも中学生ながら・・・・・やきもちをやいて

母の膝枕を妹にわざと・・・・・自慢して・・・・・

妹を泣かす始末でした。苦笑

 

あげく・・・・・妹にとられている感が嫌で・・・・・母、妹、私と三人一緒に寝てました。苦笑

 

そして小学校の時、今でこそお話できますが、

 

一生懸命作った畑の人のナスを数本持ってきて、

 

もらったとうそをついて

 

母がそのナスで味噌汁を作って

 

「ゆうちゃん、おいしいね」

 

と言われたときに、号泣して白状した私を見て翌日、母と謝りにいったときは、

こういういたずらはやめようと子供ながらに思いました。

 

とにかく中学時代まで探検みたいなことが大好きで、

 

陰でコソコソお菓子を食べて、夕飯が食べれなく・・・・

今思えば、母は知ってたのか、全部ご飯を食べないと許してくれませんでした。

流し込むように食べてました。苦笑

 

怒られると泣けばいいと覚えたとき、嗚咽するくらい咳き込んでゲボーとしても

母は許さない人でした。苦笑

 

母の友人がいるときは、ぺったりとひっついて、大人の話もわからないのにずっと一緒にいて、今でこそ言える話ですが・・・・・

 

おしゃぶりは小学校6年生、おねしょは小学校4年生までしておりました。

 

身内はそんな私をみて「大人になったらお母さんから離れられるのか」と心配していたようです。苦笑

 

学生時代も、とにかくいたずらが大好きだった?ようで、ロッカーに隠れたり、先生を驚かしたり・・・・・・先生にもたくさん迷惑をおかけしました。

 

今、こうやって振り返ると、22歳くらいまで・・・・・深くは悩まず幸せの中でわがままを行っていて過ごしていたと思います。

 

母が亡くなる当時私が29歳の時までも、毎日3回いや、4回と電話をして、自宅に帰ってからもまた話し込み

 

母がお友達といると知っていても、電話をかけたりしていたので母のお友達も

 

「ほら、また二番目のゆうちゃんからお電話よ」

 

と言われて、母が苦笑いしながら電話を出ておりました。

 

そんな母が亡くなった時、周りは残された姉妹もそうですが、真っ先に私を心配したようです。

 

そんな誰かが言ってくれた言葉「これからはゆうちゃんは自分の人生だけを考えなさい」

 

自分の人生に母がいない?

 

ばかげた話ですが、当たり前のことでしたが、私の人生に母がいないというショックを受けました。

 

平成13年12月17日に母が亡くなって・・・・・わたしはほんとーーーーに変わりました。

激動の闘病生活でもありましたが、それを上回る激動の年月でもありました。

 

母が生きていた頃、三人姉妹で一番迷惑かけた私が母の命を縮めたのではないかとか自分を責めたりしました。

正直、いまもかな・・・・

 

母と別れて15年が経とうとしております。

 

なんだろう、今の心境は

母に会いたいけど会いたくない

死んだ人とは会えないんだと言い聞かせてみたり

 

でも不思議に思うことは・・・・・母がいつも近くにいるようにも思います。

ここぞと悩むとき、私は母ならこうするという選択をします。

そうすると、それが正しい選択となります。

 

正直、40歳まで、立ち直るまで10年かかりました。

それは、今の自分をみて母が喜ぶだろうかと考えたからでした。

それからは、母の喜ぶ顔がみたい、天国で母が自慢できる娘になる

そう思って母とは向き合っております。

 

本当は・・・・・・今すぐにでも母に会いたいです。苦笑

 

でも、こういうことがあったから今の高田幸枝でいられるのかなとも思います。

 

いつか母に会えたら嬉しいなと思いながら・・・・・・

いや、次の私の母親はママしかいないかな・・・・

絶対~!

 

ちなみに、「絶対だよ」っていうのは私がママにいつもいうセリフらしいです。苦笑

 

相変わらず、まだまだ~マザコンだなと思う私でした。

 

さてと本日もはじまります。

本日も正を正してがんばります。

ママに届け~!

 

それではみなさまごきげんよう~

 

 

 

 

 

 

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名古屋の解決探偵

高田幸枝 takada yukie (1972年生 名古屋市出身) 株式会社LASコーポレーションの代表取締役 21歳の時より現在に至り探偵一筋 浮気調査や離婚問題、家出・人探しでは、調査のみで終わることはなく解決までサポートにこだわる探偵として活動している。 探偵ブログに関しては、探偵として人として女性として日々の思いを書いていこうと思っております。 企業理念「心笑の実現」 お客様、スタッフ、スタッフの家族、当探偵社に関わるすべての人たちの心が笑う実現に向けて活動します。